ブランドオーナーの松岡達也です。
未来は自分で決められる。自らが決意する事によって。
これが、繰り返し伝えている私たちブランドI WILL DO IT!の理念です。
一方で、矛盾するようですが、自らを万能とする価値観は傲慢であり謙虚さが必要。
人生は自分の決意で変えられるという事実に基づく信念を持つ一方、自分は神の如く何でもできるという傲慢は慎み、天命に委ねる諦観を持つ事です。
短期的に悪く見える結果でも、I WILL DO IT!という価値観を持ち続ける限り長期的に見ると必ず良き結果になります。
要はバランスが大切という事。
源頼朝は殺されるところを平清盛の義母の命乞いによって伊豆の蛭ヶ小島に流されました。
そして、平家打倒を決意し20年の雌伏の時を過ごしました。
弟、義経は戦場における優秀な指揮官ですが、兄、頼朝は戦場の指揮官というより冷徹な政治家という方が正しい。
生母が熱田神宮の宮司の娘として知られており、その事もあってか神社仏閣に対する崇敬の念が篤い事で知られてます。
冷徹な政治家と神社仏閣に対する篤い崇敬の念、これは持って生まれた資質に20年という長きに渡る雌伏の期間が作り出したのだと思います。
平家打倒を決意し、自ら道を拓く一方、運という自分の手の届かないように見えるところの働きで決まる要素がある事を自覚し、神仏に敬意を表し、運が自分に巡るように振る舞っていたのでしょう。
頼朝が蛭ヶ小島に流されていたある日、『かくれ里の稲荷』と名乗る翁が夢に出て平家討伐の挙兵を促したそうです。
実際に天下を取ったあと、この事を忘れず、この稲荷に感謝するために配下に命じ、鎌倉のかくれ里に佐助稲荷神社の社殿を作りました。
この神社は頼朝を助け、運命を導き、立身出世を助けた事から開運神社として広く知られています。
先日、仕事で近くに行ったのでこの佐助稲荷神社を訪ねてみました。
住宅地の前ですが、かくれ里にふさわしい雰囲気が漂ってます。
多くの鳥居と源頼朝を導いた稲荷にあやかろうと各自の願いを込めて奉納された沢山の赤い旗と鳥居が迎えてくれ独特の雰囲気が漂ってます。
このような中、坂を上がると
拝殿に到着します。
かくれ里の名にふさわしい決して大きくない神社です。
拝殿の後ろの階段を昇ると本殿があり本殿から拝殿を見ると
源頼朝を挙兵から征夷大将軍まで導いた事から別名出世稲荷と呼ばれているようです。
未来は自分で決められる。
佐助稲荷神社